「愛」という言葉、または「愛する」という言葉を人に伝える場合、あなたならどんな表現を用いますか?
スピリチュアルを解く上で、多くの人が「愛」の言葉を使いますがそもそも「愛」とは一体なんなのか?
今回は、私なりの見解で解説していきたいと思います。
先日の「命」の解説で説明した時と同様に、漢字の組み合わせで見てみると、「愛」という言葉は、2つの漢字で組み合わされています。
「受」と「心」です。
「受」:(相手方から)差し上げられたものをもらう。
「心」:飾りや偽りのない気持ち≒本心、真心
すなわち、「愛」とは
“相手方の気持ち(真心)を受け取ること”
なのです。
言葉の表現としてはこんな感じですが、イマイチわかりづらいですよね?
要するに「愛」は受け取る側の解釈次第なのです。
例えば、恋人同士の「愛」はどうでしょうか?
「こんなに愛してるのに…」なんて言葉をテレビでも現実でもよく耳にしますよね。
でも本当にそれが、(愛する相手に対して)相手を思った純粋なもの【≒真心】なのでしょうか?
独り占めしたい、(相手の全てが)気になる、(自分だけを)見て欲しい、愛してほしい、理解してほしいなど様々な感情が付随していませんか?
親子同士の「愛」はどうでしょうか?
世間体によく見られたい、成功してほしい、青写真通りに生きてほしい(自分の)思いを継いでほしいなどの想いはありませんか?
人間ですから、そんな感情が出てきて当たり前なのですが、これらはほとんどが“自己保身”の思いばかりです。
本当に相手の事を思う心(≒真心)ならば、相手の為に、(良くないところを)指摘する事だったり、(自分自身が逆の立場になったら)受け入れる事が必要ではないですか?
時には、それに対して疎く思われたり、嫌われたりすることがあるかもしれません。<
でも受け取った相手が、(発した相手の)行為の真意を理解した時、「愛だったんだ」「愛されていた」と気づくのではないでしょうか。
私が学生の頃は、(特に運動系の)部活では厳しく指導される度に、担当顧問からは「愛のムチだ」と言われてきました。
当時はそんな厳しさに嫌気が差していましたが、今なら理解できます。
「活躍することの爽快感や達成感を経験すること」や
「(社会に出た時に)厳しさや難題に対して挫けない心を養うこと」
そんな思い(真心)が含まれていたのだと。
(まあ、担当顧問の個人的な事情による想いもあったと思いますが…)
それを即理解できるに越したことはないでしょうが、現実はそんな簡単ではありません。
数日、数ヶ月、数年と様々な年月がかかることと思います。
でもそれを理解した時、きっと過去の出来事から「愛」を受け取れるはずです。
すると、同じような出来事に対して“受け入れられる”ようになります。
「愛すること」【≒心】は、(嘘偽りなく相手の為に)出来ることに最善を尽くすこと。「愛されること」【≒受】は、(相手から受け取った)行為、言動に対する真意を理解することなのです。
日常に起こる(特に理不尽な)出来事は、全て“愛”なのです。
それは、「グループソウルの向上」や「霊的真理の理解を深めたい」と願って現世に生まれてきた私たちに対する、守護霊や至高神からの“試練”であり“激励”でもあります。
私自身も、まだまだ理解し難いことはたくさんあります。
現世的に不幸な出来事があって「何が愛だ!」なんて思うことも。
今年は新型コロナウイルスによって多くの方が様々な影響を受けたと思います。
でも、それは人それぞれ異なる「オリジナルの愛」を頂いたのですから、それをどう解釈し、今後の生き方に活用していくのか…
それこそが、“愛を知る”大きな一歩へと続いていくのだと思います。
2020年7月7日投稿分
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