破壊と新生

「別れがあるから新しい出会いもある」
「終わりがあるから新しい始まりもある」

よく、新生活を始める際に用いられる言葉ですが、今回のコロナ騒動による影響にも同じことが言えるのではないでしょうか。

今までの常識や“当たり前”は、いとも簡単に崩れ去りました。
「会社に行って仕事をする日々」
「学校に行って友達と学び、遊ぶ日々」
「〜したいという欲求に対して、すぐに答えてくれる社会の仕組み」【利便性・効率性重視の社会】

それが、「戦争」や「経済の悪化」といった“見えるもの”による影響ではなく、新型コロナウイルスという“見えないもの”による影響で崩れ去ったのです。

つまり、私たちは“変化すること”を求められているのです。

コンピューター技術の発達により、私たちは“より便利で効率的な社会の実現”を求めて発展していきました。
しかし様々な部分で“自然との調和”を無視(見過ごす)してきた結果、近年では“自然災害”や“奇病・疫病”に振り回されることになったのです。

この自然災害などは、古から人類が付き合ってきたものですが、<近代科学の発達がない地域や時代においては、それが“神の怒り”と捉えていることもあります。

結果、お屋代や祠を立ててお供物をし、神様(自然)と上手く付き合うことで、数多くの歴史を紡いできました。

しかしながら、近代科学発達はその全てを追究・解明することに重きをおき、自然の恐ろしさに臆することなく、自らの利権追求に走るようになりました。

この時代に生きている私たちにとって、近代科学の発展による社会は欠かせないものとなっています。
それが決して“悪い”ことではありません。
この世界に生きていく上では、仕方のないことでもあると思うのです。

でも、この“自然からの警告”【破壊】に対して少しでも<br>耳を傾けて欲しいのです。

霊的真理の観点においては、“偶然はなく全てが必然”なのです。

ただ単に“運が悪かった”の一言で片付け、同じようなことを繰り返せば、必ず同じような繰り返しを経験します。

今回のコロナ騒動で学んだテーマは人それぞれ異なります。
そのテーマに気づき、新たなる生き方【新生】を実践できることが、今まさに求められているのです。

2020年5月15日投稿分