理解をするということ

「人と人とは互いに全てを理解しえない」

そんな格言めいた言葉は、この現世という世界にいる限り、永遠のテーマなのかもしれません。

肉体的な作りによる違い≒男と女の違い
住む場所による違い≒国・地域など
思考的な違い≒価値観・宗教・民族的思想など

「互いが違うこと」をメリットとした時には、相手を知るという大きな学びを得ることができます。

一方で、それをデメリットとした場合には嫉妬・恨みなどのマイナス感情を大きく働き、互いを認め合うことができず、結果的に大きな争いを生むことになるのです。

ただ、互いを認め合う以前に自分かわいさが重視されるからこそ、相手の存在を無視するのかもしれません。

それは時に”戦争”という形で表され、大きな悲しみやマイナス感情が渦巻く世界を作り出すのです。

「海の外で起きている大きな争い」程度にしか関心のない私たち。

しかし金銭的な厳しさという部分で私たちの生活にも大きく関わってくるようになりました。

そこで関わってくるのは俗にいう”貧富の差”です。

”たかが10円・20円の世界であろう”そう思っているのは、俗にいう富裕層の人たち。
この10円・20円が大きく関わってくる人たちもたくさんいるのです。

霊的真理においては、貧乏な経験を強いられる≒過去世において自分が金持ちを経験している とも捉えられます。

私腹を肥やし、お金の魅力を知った過去世の経験とは別に、お金では買えない多くの価値観を知ってもらうためにあえてそうゆう環境に身を置くこともあります。

ただ一方で、結果重視の考え方に対して疑問を持つようになりました。

本当に納得しないまま、ただ何となくで流されて悪い流れに向かい、悲鳴をあげる人たちを見ると「カルマ(反対の立場の経験)」なんだと思う一方で、居た堪れない気持ちにもなってきます。

結果が出る前に相談に乗ることはできないか?修正軌道に乗せてあげることはできないか?と

だからこそ私はこの仕事に携わり、霊的真理をお伝えすることで、本当の意味でのこの世界での使命を全うしてほしいのです。

たとえ、結果は同じだとしても、それまでのプロセスが異なれば満足度は変わってきます。

是非とも、多くの人が満足してエンディングを迎えてもらえるよう精一杯努めていきたいものです。

2022年6月9日 投稿分

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