通過点として生き抜く

目標を「到達点」とするのか?それとも「通過点」として捉えるのか?

ここに大きなポイントなのかもしれません。

昨日、競馬の祭典「日本ダービー」が行われ、多分日本で一番有名であろう”武豊”騎手が勝利しました。
その年齢はなんと53歳!数々の記録を塗り替えてきた、武騎手はまた一つ「50代でのダービー制覇」というとんでもない記録を作ったのです。

一般的に50代といえば、体力的にも気力的にも衰えを感じる年代であり、アスリートの世界ではかなり不利な要素とも言われています。

<p>そうした中でも、未だに最前線で活躍をされる武騎手の活躍はまさに”レジェンド”と呼ぶにふさわしいのでしょう。

<p>かつて彼のインタビュー記事を見たときに、これほどの活躍をされているのに、満足はしていない旨の発言を見かけました。

<”もっと上手になりたい”という純粋無垢な探究心が彼の活躍を支え続けているのでしょう。

逆に今の自分に満足した途端に私たち人間は歩みを止めるのです。

いつかは来る”終わりの瞬間”、私たちはその瞬間に己のあり方を振り返り、思いを馳せるのです。

やり残したことがあれば、それを悔い、再びやろうとします。

魂が現世に再生してくるのもまた、これと似たような仕組みです。

霊的真理に基づいた”お返し”が十分できなかったため、それを行うことを約束してまた”来世”に託すのです。

残念ながら私たちの多くは、その”誓い”を果たさず、さらにやり残したことを増やして、また来世に託します。

それが積もり積もって、今の私たちが出来上がっているのです。

”誓い”はあなた自身のGSがより高みを目指す(輝く)ために設けた目標です。

はっきり言って全て達成できることは難しいかもしれませんが、それでも”お返しのために”と精一杯生き抜いたときには、きっと計り知れないような喜びが待っていることでしょう。

生きるということは、”お返しのチャンスを許された”ということを意味します。

しからば、そのチャンスに報いるためにも精一杯歯を食い縛り生きていくことが大切なのです。

2022年5月30日 投稿分

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