対にあるからこその幸せを知る

こんにちは。

かなり久々の更新となります。
新年が明けて2ヶ月以上が経過してしまいましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、今日この記事を書いている頃の東京の最高気温はなんと19度。
3月の初旬なのに、すでに5月並みの気温ということで服装にも困ってしまう陽気になっています。

一方で明日からは一気に気温が下がり、何やら東京でも雪が降るかも…なんて話も。

こうも右にも左にも一気に方向転換されると、それに振り回されて、あたふたしてしまいがちですが、大事なのはそうした環境に身をおいた時に、何を思うかなのです。

連日のように、大寒波に伴う大雪の災害、大船渡での山林火災、そして気温の急上昇と急降下など…

細かなところを挙げていけばキリがないものですが、この全てに共通するのは”平常時とは異なること”が多数起きているということです。

平常時が何を指すのかというのは一概には定義しづらいものですが、少なくとも心地よく過ごせる環境にあることが、その一部分ではないでしょうか。

大雪が降れば、「ああもう少し、降る量が少なければいいのになぁ…」と思ったり
気温が低ければ、「もう少し、暖かければいいのになぁ…」と
極端な環境に置かれれば、そういった贅沢を言いたくなるものです。

でも私たちの多くは、そういった”日常のありがたみ”を感じることが少なくなってきており、
むしろそれこそが当たり前という、なんとも傲慢な考えが多く存在してきています。

便利な世の中になればなるほど、むしろ”不便”であることに対する耐性というものが無くなってきているのです。

例えば、昨夏からの「令和の米騒動」からお米が高くなり、外食も含め、ますます食費の値上がりが進んできました。
こういった時こそ「見直し」の時であり、大きなチャンスなのです。

昨今、今までの常識では計り知れないほどの、大きな変化が私たちに向かってきています。
それは、対の立場に立つことで”大きな価値観≒幸せ”を学ぶことを求められています。

逆境に立たされた時にそれをどう乗り越えるのか、私たちは今大きな試練を迎えているのです。

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