老いという特典

夏の暑さも静まり、だいぶ秋らしい気候に変わってきました。
例年ならば“シルバーウィーク”と話題になるのでしょうが、昨年・今年とその盛り上がりはかなり静かなものです。

とは言いつつも、TVでもそうですし、駅のホームを見ても、出かけている人は出かけている様子。

気分転換も大事ですが、皆様どうか「KEEP  SAFETY」でお過ごしください。

さて、先日20日は敬老の日でした。それにちなんで今日は年齢のお話を少しだけ…

私たちはもともと魂という霊的存在であり、この現世に生きる上で肉体を借りているというのは、ご承知のことと思います。

“年齢的な肉体の変化≒老い”というのはこの現世でしか味わえません。

霊的世界では年齢という概念がないのです。

ではなぜ、この現世において肉体的な成長や老いがあるのでしょうか?

それは「学び」のためです。

「子ども」として生きているうちは、大人(特に親)からの愛情を受け、現世に生きるためのルールを学んでいきます。

まだ、右も左も分からない存在ですから、ある程度間違ったことをしても、修正する機会(躾・教育など)を何度も与えられます。

そうしたことを数多く重ねて、私たちは成人≒おとなとして社会での活動に身を投じます。

そして、働くことや子育てによってまた新たな学びを重ねていきます。

この社会での学びにも修正する機会は与えられていますが、自ら選んだ“責任(意思)”というのは必ずついてきます。

幼い頃は、善悪の判断がまだつかないため、時に大人(親や先生)に判断を委ねます。

しかし社会に出れば、自らに自由が与えられます。
そして責任も与えられます。 

それまで学んできたことをもとに、何をやるのも自由ですが、全ては自らの意思のもとでの判断です。

例え、家族や友人・知人に相談したとしても、最後に決めるのは自分なのです。

そうして、生きてきた知識や技術を次の代へと伝えること≒これが教育です。

何も子育てだけではありません。

会社の若手育成や若年者とのコミュニケーションもそうです。

そうしてどんどん自らの肉体も老いていき、出来ないことが増え始めて、いよいよ清算の時期を迎えます。

老人は社会的生産性から見れば、ほぼ役に立たない存在となり、疎まれる傾向にあります。

しかし、これもまた学びなのです。

自らがそういう存在になった時に、どういう扱いを受けるかの学びです。

自らが社会で活躍しているときに、(本当の意味で)多くの人たちへ還元してきたのなら、それなりに気にかけてくれる存在がいるでしょうし、
一方で、そうでなかった場合には、孤独なことの方が多いかもしれません。

別にどちらが、正しい・悪いではなく、どちらもそれまで生きてきた過程での結果発表なのです。

そうして最後の学びを終えることで、“死”を迎えて、自らの魂の故郷である霊界へ還っていくのです。

老いるということは、学びであり、終着点への準備でもあります。

かく言う私もすでに30代。側から見ればまだまだと言われますが、体力で押し切れた20代とは違うことを実感しつつあります。

現世に生きる誰もが、平等に持ち合わせている“老い”という事実。

時に煩わしくも感じますが、この世界だけでしか味わえない特典なので、大切にして行きたいですね。

2021年9月23日 投稿分

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