祭りの意義

こんにちは。
今年も残すところあと1週間となりました。

今日、12月24日は“クリスマスイヴ”であり、本来なら町並みは多くの人で賑わっているのでしょうが、残念ながら今年はそういった活気は見られません。

おそらく多くの人たちが、必要最小限の活動に留めて“ステイホーム”することが多いのではないでしょうか…

さて、今年の多くのイベントが規模縮小や中止・延期などになり、祭りやフェスといったものもほとんど開催されませんでした。

今回は改めて“祭り”の意味を考えてみたいと思います。

ご存知の通り、クリスマスは“キリストの降誕祭”が根源でありキリスト教を中心に重要な行事なのはいうまでもありません。

では日本における“クリスマス”とは一体どの様な位置づけなのでしょうか?

もちろん、日本でもキリスト教信者などにおいては大変重要な行事として扱われていることと思いますが、一般的な人々においては“祭り(イベント)”の一環という解釈が適当なのではないでしょうか。

“家族や知人・恋人など大切な人と過ごす”という名目のもとに置かれた特別な日

そんな位置付けで現在の日本人はクリスマスというものを扱っているのです。

子供にとっては誕生日と双璧をなす一大イベントで、「今年はどんなプレゼントをくれるのかな?」なんてワクワクした記憶のある方も少なくないのではないでしょうか。

一方、大人にとっても「クリスマスだから」というある種の名目によって特別な食事や買い物などを楽しむ人が多いのも事実です。

これは“正月(元旦)”や最近では“ハロウィン”などのイベントごとにも同じことが言えると思います。

>現在では“イベント”の一環として取り入れられている“祭り(フェスティバル)”
おそらく、ここまで開放的かつ様々な祭りを取り上げているのは日本特有なのではないでしょうか?

考えてみてください、クリスマスは“キリスト教”であり、初詣は“仏教・神教”なんですよ?

これほど多くの宗教的行事を受け入れられる国は世界でも稀な存在です。

ではなぜそれが可能なのか?

それは、日本における“神様”の解釈が幅広いことに由来します。

日本には様々な神様が祭り上げられており、“一神教”ではなく“八百万の神”を崇拝しています。

例えば、農家における豊穣の神に対する“収穫祭”だったり、
漁師における海の神に対する“大量祈願祭”だったり、
受験などの勉学における学問の神に対する“合格祈願”だったり…
とにかく至るところにある“神様”に対する崇拝を私たちは、日常生活の中で行っているのです。

海外から見ればこの様子は驚きであり、それだけ日本人の信仰に対する器の広さの歴史の積み重ねが今日に至っているのです。

さて“祭り”とは、そんな“神様”と“市民”との間において、“(神を)崇め奉る儀式”が根源であるのです。

かつての日本人には“自然災害”に対する神への信仰心は大きいものと言われていました。

例えば「火山の噴火」や「豪雨災害(台風)」「水不足」など様々な現象に対して“神からのメッセージ”と捉え、“雨乞い”や“収穫祭”など「神の加護(御助力)」とともに生きていく生活を行ってきました。

しかしながら、様々な機械を中心にした社会に切り替わり、“科学の力”で解決方を見出す世の中になってからは、(我々日本人も含め)自然の力に対する恐れを失くしつつあるように思います。

普段の天気や地震・津波・火山の噴火など、残念ながら“科学の力で制御出来ない”ものはまだまだたくさんあります。

それは“神特有の力”であり“メッセージ”なのです。

この現世に住む私たちはそれときちんと向き合わねばなりません。

“(メッセージを受け)出来ることを遂行し取り組んだ結果”を報告し、神にお伺いをたて、改めて“神の力”を認識する。(祭りあげる)

これが“祭り”なのです。

決して“賑やかに騒ぐこと”がダメだとは思いませんが、祭りの大元の目的は何なのか?何に感謝・御礼すべきなのか?

それをぜひ、改めて考えていただく機会としてもらいたいと思います。

2020年12月24日 投稿分

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