アンラッキーが学び

この現世においては実に、理不尽と思うことはたくさんあります。

私たちは思うように事が運ばないと、それだけでイライラした気持ちになり、またそれを煽るように周囲の言葉や行動が、さらに気持ちを不快にさせます。

例えば、毎日の通勤・通学の移動の時。
貴重な時間を1分1秒でも無駄にしたくないとギリギリのスケジュールで行動している方は決して少なくないと思います。

そんな時にいつも乗る電車が少しでも遅れようものなら、それだけでイライラ。

さらに忘れ物をしたり、誰かに足を踏まれたり、(仕事や勉学に対する)気持ちが乗らなかったり、それだけで自分のテンションはだだ下がりし、「うまくいかないこと」にもどかしさや時に他人に対する妬みを感じたりするものです。

それでも何かしらの希望を見出して、私たちは日常を過ごしているのです。

先日も衝撃的なニュースが世間の話題として取り上げられました。

電車内でのテロに近い行為が行われ、首謀者の話題はもちろんのこと、鉄道の安全性に対する疑問視までもが多数のメディアで取り上げられました。

私自身もかつては鉄道の仕事に携わっていたことがあるので、(鉄道事業者側の)事情についてもある程度理解することができるのですが、世間の多くの方は、「なんで早急に対応できなかったのか?」などと意見を持っている事でしょう。

技術の発展により、様々な仕事が(機械やAIなどに)切り替わっていくこの現代において私たちは目の前の利便性に大きな魅力を感じると、「万が一」に対するリスクの想定は考えていないのが、ある種当たり前になっています。

だから「もしも」についてはキリがないので最小限に留め、そこまで深くは追求していないのです。

別にこれが、現世に生きる私たちだけかといえば、そうではありません。

明日の憂いを心配するなら、今日の喜びを噛み締める。
そうやって私たちは多くの歴史を積み重ね、時に間違いを犯しては、それを正し、歩んできたのです。

例えば、地球温暖化の問題にしてもそうです。

多くのものたちが、より豊かさを求めて、発展を進めていった結果、今自分たちの首を絞めているのです。

そして、奇しくも私たちは失敗や苦しいことを経験しないと学ばないのです。

何故ならば、それに気づいていないから起こりうるのです。

現世に生きる私たちが理不尽に思うことの多くは“カルマ”に由来することが多くあります。

カルマ≒お返し とも言われますが、要は「魂の気づき」のための学びなのです。

反対の立場を経験することで、「悪いことをした」「間違いだった」それに気づくための出来事です。

もちろん全てではないですが、アンラッキーな出来事は「見直しの機会」でもあります。

たった1分の遅刻で上司や先生に怒られた人は、自分自身に余裕を持っていますか?
相手が同じことをしても笑って許せますか?

根本的な考え方はそこからです。
私もまだまだ未熟ですが、一つでも多くの学びを得られるように精進してまいります。

私のカウンセリングでは、「何を言っているんだ?」と腑に落ちないことがあったりすると思います。

ですが、霊的真理の幸せは現世的なものとは逆だったりすることもあります。</p>

私自身が「闇の中の光」を見出せたように、多くの人にそのきっかけをお伝えできたら幸いです。

2021年11月6日 投稿分

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